山嶺 12月号

 中学生以来の奈良を10月東海自然歩道で訪れ、楽しんで来ました。

 日の出を生駒山で迎えた28日、朝食後氷室神社の駐車場からスタート。対面は奈良国立博物館、開催中の正倉院展は長蛇の列、入館希望を即中止して大仏殿に向かう。

 月曜日の9時過ぎで中高生の団体くらいで参拝客は少ない。入門して廊下から大きな大仏殿を覗くと、前庭の芝のグリーンと陽光に浮かび、神々しさに体がふるえた。大仏殿に入ると大きく非常に綺麗な大仏様が迎えてくれた、右回りで進み女性の皆さんお元気に「柱くぐり」に挑戦した。若草山は北ゲートから直登で茶店ある一重目から最高点の鶯塚古墳まで登り、大展望を楽しむ。下山後昼食を日陰の芝生で食べていると、鹿がやってきて非常にうるさく閉口した。

 トラバースきみに春日大社に歩いて行くと急に参拝客が増え騒々しくなる。残念ながら日本人は少なく圧倒的にアジア系の外国人が多く、びっくりたまげた。長い参道をバス通りに出て、最後は新薬師寺。数人の日本人との参拝、力が抜け気持ちよく奈良を後にした。

山嶺 11月号

 長年、東京野歩路会を愛してやまなかった、上島昌之名誉代表が9月19日ご逝去されました。

2週間前の集中山行には一人電車に乗り参加され、M氏に助けられ温泉に入られ、お膳ものは完食されておりました。今思うと皆さんにお別れに来られたのでしょう。喪主のご挨拶の中で1週間前までは普通の生活をなされており、大往生だったと話されておりました。

 私は昭和63年役員就任後、上島氏との思い出が始まりました。ご一緒に山らしい山に登った記憶は有りませんが、毎月の役員会、山に親しむ会等の行事に出席した後の懇親会の思い出でございます。ワイワイガヤガヤの懇親会がお好みとの印象が残っております。よく飲み、よく食べ最後割り勘計算

までなさっておりました。

 鉄道マンであられた上島氏は役員会には杖を片手にメトロで毎月のように出席なさっておりました。やはり足腰の強化が健康の決め手のようです。元気良くハイキングに出かけ、毎日の生活で2階への階段の上り下りが、足腰の基礎体力維持に貢献すると思いました。

山嶺 10月号

 キセルと言えば自動改札機導入により、死語になったと思いきやそうでもなさそうだ。

今夏松本駅からの帰途、バスを選ぶと満席で2時間待ち、急ぐ旅ではないので鈍行に乗り居眠りして甲府駅、この先乗り換えが有りで結局「あずさ」に乗り換えた。ホームの自動座席発券機で発券して乗車した。昔は車掌さんが出向き発券手続きするやら落ち着かなった。さすがデジタル時代そのもの、快適な電車の旅を楽しみPASMOで帰宅した。

 電車利用で山に出かけると簡易型の自動改札機が設置された駅がほとんどだと思います。無人駅をよいことにそのまま通過しては、デジタルカメラが行動を見ています。京王線の最短乗車券を購入して、そのまま都営地下鉄の駅改札口をシルバーパスで出るのはキセル乗車です。

 昔はスリル満点で多くの皆さんも経験なさったと思いすが、犯罪捜査でのデジタルカメラの役割は飛躍的に高まっております。山に

感謝して安全で楽しい登山を心がけましょう。 

山嶺 9月号

 上高地に覆い被さるようにそびえ立つ六百山。蒸し暑い早朝、キャンプ場を出発した。トイレ脇から笹薮掻き分け入山、黒いゴム管

が伸びている、大きな電源ボックスと堰堤、更にセンサー・カメラ等土石流対策施設か。笹薮を下り枯沢に入る。大小の石が不安定に

堆積している、こわごわラクさせないよう登る。尾根に乗り小さな岩峰を登り少し下ると鞍部、対面の西穂高は雲の中。トラバース地点は崩壊してフィックスロープをセットして通過。林間の急坂登りきると圧倒的な高度感、岩場のハイマツを握りしめ六百山。

 真夏の安全登山は暑さに対応した行動がとれるかではないでしょうか。水分補給ができなければ熱中症状態になり思考、歩行共困難になります。そのためにも個人差、行動時間で変わりますが2リッター程度の水は用意して、喉が乾く前に補給する必要があります。ハイドレーションシステムと言われる手法が、手早く積極的に安全に水分補給できます。休憩時間は1時間弱毎になります、それでは水分不足になりますので十分に補給して楽しい山登をしましょう。

山嶺 8月号

 6月23日、野反湖ではトレランの大会が開催されていた。

弁天山にはランナーの長い列が続く、狭い登山道には黒い新たな踏み跡が痛々しく頂上に延びていた。我々も大人数であったが、南百、何千という桁違いのランナーが通過することは、自然にとっては驚異なのだと思いました。よく言われますが狭い登山道から裸地化が進み、登山道が広がっていく過程を実感致しました。トレランはやがて尻焼温泉へ伸びる尾根を

下って行き、山は静かさを取り戻し、次々に出現する花々の名前を呼ぶ我がパーティーの声がこだましておりました。

 エビ山に登ると若者3名が、山頂の真ん中でガスを使用して昼食をしておりました。我々のパーティーに驚いたのでしょう、彼らはすごすごと隅の方に移動していきました。団体行動は驚異です、山頂標識柱にどっと集まり、ところ構わずザック置き写真タイムが続きます。登頂の喜びでそのような行動になろうかと思いますが、少し落ち着いて、出来たら迷惑掛からない隅のほうにザックを置き、写真タイムをしたいものです。

山嶺 7月号

 上部団体の都岳連の総会が5月28日オリンピックセンターで開催されました。

 組織基盤である加盟団体数の減少が危機的状況であることが認識いたしました。今年3月末日現在10年前の2/3に減少して、総会当日には173団体と公表されました。また個人会員も2年前から減少に転じております。

 対策事項として組織基盤強化としてシンポジウムを開催した。現在加盟団体の会員数の把握が出来ていない状況で、個人会員含め傘下の加盟団体会員数合計は5000人位と見ていますと説明がありました。更に会員数の把握のため、各団体の会員登録制と分担金の改定問題など非常に耳が痛い話が出ていました。少子高齢化でどこの加盟団体でも会の存続が危ぶまれている現状が、都岳連のホームページを覗くとよくわかります。

 本会におかれましても非常に厳しい状況が続いております、3年後に迫った百周年に向け、会員の皆様におかれましては、現状を認識していただき新たな時代に歩を進めていきましょう。

山嶺 6月号

 4月24日開かれた総会は令和の時代(デジタル時代)に対応した運営方針が討議されました。

 少子高齢化の現在東京野歩路会の立ち位置は古希世代。それでも古希世代は毎週のように山に出かけ元気そのものです。只次世代担う若者が更新手続きせず、退会していく現状を打破し、次世代を担ってもらえなければ東京野歩路会の存続はございません。若者世代中心の改革案を討議して左記の通り決議いたしました。

  1. 50歳未満新規入会者1年間会費0円、入会金1,000円 例会参加金は従来通り
  2. 60歳未満限定、青年グループ例会開催、担当宮崎幹事
  3. 入会員向けにガイダンス例会開催。毎月第一日曜日、山域は高尾山~景信山、担当・月当番
    未会員の体験(お試し)山行も兼ね会員の定着と新規入会者を掘り起こしていく
  4. 幹事・特別幹事の任務軽減策
    役員会 隔月開催   部長会 隔月開催

インターネットを活用してより良く透明性ある会運営を行っていく所存です、皆様のご協力をお願い致します。

山嶺 5月号

 カーナビで養老の滝と検索すると居酒屋チェーンの「養老乃瀧」がヒット、苦笑しながら養老の滝の上にある駐車場を目指す。前夜の降雪で白くなった3月24日瓢箪ぶら下がる養老山に登ってきた。

 駐車場に下山後、養老の滝への階段を降りると太い流れが真っ直ぐ落ちて壮観。更に下ると養老神社、右の窪地、岩間から湧水。「菊水霊泉」と標札に書かれていた。神社の階段を下ると名水百選の汲み場。

「親孝行の昔話」は貧しいけれど親を敬い大切にしている樵の話で、年老いた父の好む酒を充分に買い与えられず、ある日いつもよりずっと山奥に薪取りに行き、岩間から山吹色の水が湧き出ていた。掬ってみると香わしい酒の味がする、腰に下げた瓢箪に汲んで帰り老父に飲ませたところ、驚き、喜び、白い髪は黒く、皺もなくなり和やかな笑い声が村中に拡がりました。

 まろやかな水で作られた甘酒は美味しく、早速水筒に入れました。帰途ウイスキーを買い求め水割りでいただくと美味かったが、残念ながら鏡には相変わらず白髪顔が映っております。

山嶺 4月号

 3月10日名古屋の友好団体「ふわく山の会」の創立40周年記念式典に出席してきました。 800名入るウィルあいちホールでの記念式典は12時30分開始。藤田会長、来賓挨拶の後、岡本前会長の「ふわく山の会40周年ヒストリー」、山と渓谷社の萩原編集長の講演、会歌合唱などと続き閉会は16時30分と非常に盛りだくさんでした。そして懇親会は会場を移動して行われました。非常に真面目で前向きの山の会と認識し、当会でも少しでも「ふわく山の会」さんに近づく努力をしたいと認識致しました。横浜の「みろく山の会」「西宮明昭山の会」も出席して情報交換をしてまいりました。

 東京野歩路会の90周年記念祝賀会に、望月副会長がご出席を賜りましたおり、ご挨拶の中で会名は論語の「四十にして惑わず」から命名したと、申されておりました。現在の会員数は720名と伺いました。毎月拝見している会報、そしてWebサイトは凄いボリュウームです。幹事諸氏そして多くの会員の日頃のサポートなくして、これだけの活動は出来かねると思います。

山嶺 3月号

 今年の新年会は場所を変え池袋で開催した。事前のPRが効いたのか、多くの会員が集い円形テーブルを囲んだ。只、予約したのにインフルエンザにかかり、残念ながら欠席した方も多数見受けられました。

 昨年暮れは暖冬傾向でしたが、新年迎え冬型の気圧配置が続き晴天で乾燥した東京地方は一気にインフルエンザの流行をもたらしました。インフルエンザに感染と思われたら、先ず体を休め、水分摂取に努め、医療機関で処方していただき、回復するのを待つのが大事だと思います。

 私は雪国の湯沢町に喉に優しい雪を求め何回となく車で通います。1月末、関越道が赤城からチェーン規制を行っていたので、17号線で湯沢町に向かいました。三国峠の遥か手前で道路脇の樹木からの落雪で一寸闇、更に進むと視界悪くなり、そして道路脇に積まれた雪が風で地吹雪状態やはり一寸闇になり、最悪の体験を懲りずに今年も致しました。また帰宅した2日湯沢から高速のるとなんと関越トンネルで赤信号、20台目位でした。雪の季節くれぐれも車の運転注意致しましょう。

山嶺 2月号

 3日新春初例会を開催した。集合地の入生田駅はひっそりした駅で、近くの住民は電車の音で駆け足しで駅に着き、電車に乗って行った。大勢の会員が新年の挨拶を交わしながら集うが中には、お屠蘇気分で遅刻した参加者もいた。

 駅近くの紹太寺はお正月で静かでした、しだれ桜咲く頃には再訪したいものだ。早川に架かるコンクリート製の何の変哲もない「太閤橋」を渡る。一夜城の石垣山に延びる道路は車の通行はまれで、のんびり歩くことができ、途中早くもオウバイが黄色の花を咲かせていた。木陰はひんやりするが快晴で日向に出ると「ひだまり山行」そのもの。石垣山(一夜城)入口と記載された道標から入城、二ノ丸跡は広い芝生で皆さんシート広げ楽しい昼食を堪能した。最高地点の展望デッキからは小田原城が望むことができました。双眼鏡で遠くを見ていた方が、スカイツリーが見えると言ってメンバーに双眼鏡を渡してくれたりしてやはり、お正月ダナーと感じました。お正月以外でもこのような穏やかな交わりが、会、日本、世界中で続くことを願いたい。

山嶺 1月号

平成31年 謹賀新年

 昨年は東京野歩路会において遭難行方不明などの大きな事故は発生致しませんでした。只残念ながら事故が発生しております。登山教室において岩のゲレンデでの登攀中の骨折事故、沢教室ではビバーク中の事故を受け、ヘリコプター要請など続きました。

以前、親しむ会に講師にお招きした金さんの話の中で最近の登山者は「根性」なく、救難要請するとの言葉が印象的に残っております。登山の基本は体力です。山を始めた頃は体力なく、それでも続けていくうちに少しずつ体力つけ、大きな山行をクリアーできるようになります。金さんの話はリスク高い、バリエーションルートに体力ない登山者が入山して、そのような結果を招いているということを発信したと私は理解しております。更に昔例会で滑落遭難事故がありました。御礼の挨拶に出向いた松田警察署、署長は最近、道のない所に多くの人が入り、困惑している旨の話がありました。「年寄りの冷や水」にならないよう肝にめいじました。

 本年は平成から新しい元号に変わります。東京野歩路会も新しい時代に対応した変化が求められております。Webサイト(ホームページ)をリニューアル致しました。会報「山嶺」は紙だけからスマホやタブレットでいつでもどこでも見られるように致しました。サイト内会員専用ページにPDFにて掲載しております、是非チェック願います。尚同ページはパスワードの設定をしております、noboro1922を挿入すると入れます。また山嶺同様に会員の皆さんからの投稿をお待ちしております。写真になにがしかのコメントを入れてください。紙文化とは違う体験をして世界に発信しましょう。

 新年会は会事務所がある池袋で1月23日開催致します。会員の皆様からは役員ばかりで敷居が高いとの話が耳に入りますが、多くの会員諸氏の参加をお待ちしております。全役員出席しての顔見せ挨拶を行ないます。入会して間がない会員さんには絶好の交流の場になると思います。例会参加が無い方には役員諸氏をよく観察していただき、例会参加のきっかけとしてください。また当日は山道具等の交換会、ビンゴゲーム、その他盛りだくさん企画を検討しておりますのでご期待ください。