5月号

 今年は16年ぶりの大雪で寒さが続きました。東京の桜と同じ20大磯・高麗山ではニリンソウが咲いていました。その後寒さがぶり返しましたが春は到来しました。

 コロナ感染者は減少傾向でまん延防止は解除されましたが、ロシアが仕掛けた戦争は我々の生活にも影を落としております。それでも春爛漫の季節を謳歌すべきと野山に出かける時が来ました。

 4月の集中山行、百山登山そし1029日の百周年の祝宴と行事は目白押しです。多くの会員の皆様の参加を期待します。

 4月の総会で新執行部が発足します。これからも皆様のご支援、ご協力をお願い致します。

 2012年の総会で代表に就任して、最長10年の任期を迎えました。福本ご夫妻の遭難事故の捜索が未だ続いておりますのが心残りです。速い解決を祈るのみです。

 これからも「安全で楽しい登山のために」活動していきましょう。

皆様との距離を縮めたく一心で道標を書き続けてまいりました。

東京野歩路会の益々の発展と皆様のご健勝をお祈り致します。長くて短い10年でした。ありがとうございました。

4月号

登山は早出早着が鉄則です。

49歳の夏3時半、ヘルンリ小屋を出発。同行のH氏のガイドは早く時間前に出発して行く。やっとスタートしても途中キジ撃ちか?ヤレヤレ。小生もマイペースを貫き、マッターホルンに登頂して15時過ぎ小屋に下山した。

 モンブランではマッターホルンのH氏のガイド、彼の後に二人ロープを結び、コスミック小屋を2時前出発。シャモニーの夜景を眼下に登る、ゴーゴーの連発で慌ただしい、エギーユ・ディ・ミディには13時にゴールインした。

 ヨーロッパアルプスではガイド登山が主体になり、山は大きく出発時間は早く、休憩時間も無いに等しくゴーゴーの連発で終始する。

さて、日帰り登山では出発時間が遅くなりますので、気象予報を十分確認して安全第一で行動してもらいたい。

 山小屋宿泊は早く朝食を用意してくれるので問題ないが。麓の旅館、民宿での対応は遅く、前夜に弁当を用意してもらい、出発前か途中山中での朝食になります。日帰りと同様気象状況の把握に努め、午後の早い時間での下山が鉄則になります。

3月号

 1月22日NHKのおはよう日本では袋田の滝からの中継、10年ぶりの結氷でアイスクライミングに興じる、クライマーに焦点をあてていました。

気候変動はしんしんと降るイメージの降雪状況を変えたと、新潟県のTVニュースが伝えておりました。小生は約20年、降雪時期湯沢町で生活してきました。過去1月の厳冬期、毎朝車の雪下ろしを経験し、1週間持たずに帰宅した記憶があります。寒波襲来の今年、2日間ドカンと降る雪で関越道は1昨年暮れの教訓か、一時通行止めにしておりました。車には

1mを超える雪が降りつもり、雪下ろしは大変でした。

 スキーヤーさん、昨年は思うように滑ることが出来ませんでしたが、今年こそと楽しんでおられることと存じます。安全第一でお願い致します。

 昨年秋以降、コロナ感染者数が劇的に減少しましたが、やはり6波がやってきました。南アフリカ、英国等のデータを見ると1ヶ月でピークを迎え、減少傾向に入ったと報道しております。山嶺3月号発行の頃にはピークから下降に向かっていますか、楽しみです。

2月号

 例会開催は幹事として当会の目的を達するために必須条件である。 例会開催は多岐にわたり、新幹にとっては荷の重い作業が続きます。

例会計画原稿は毎月22日〆切。例えば1月22日〆切分は山嶺3月号に掲載。3月号は2月24日以降に配達され申込を受信。速やかに受付の旨を記載して返信。定員設け、満員の場合は速、満員〆切を返信。

登山届 開催前日迄に警察、事務局、遭対部長にメール送信。参加者にも事前に送付する、参加者は留守宅用に利用出来るWebで「コンパス」を利用可能で、いろいろメリット有ります。

開催日 集合時間前に到着。挨拶、自己紹介後スタート。大人数のパーティーでは主係が先頭を歩きリードする。休憩は小1時間に5分程度、長くなると体が冷え、足がツルなど体調不良が発生する。水分補給と冬季の体温調節も大事。13時以降の下りは魔の時間と言われ注意喚起する。当然ながら禁酒。

 開催後、コンパス利用なら下山通知。登山例会部に人数報告。報告書を送付する。

一般登山例会を念頭に記載した。 

1月号

令和4年 「五黄(ごおう)(とら)(どし)

36年に一度の周期でしか巡ってこない「五黄の寅」。

「五黄土星」と「寅年」の強い運勢を兼ね備える「五黄の寅」は最強の運勢といわれています。

 皆様の御健勝をお祈り致します。

 本年、東京野歩路会は創立百周年を迎えます。輝かしい新年のお祝いを申し上げます。

 多くの会員の皆様、また今日まで会を支えご協力を頂いてきた関係者の皆様に心より御礼申し上げます。

 私事で恐縮ですが小生は60周年記念行事後の年末に入会して、カルチャーショックの連続でした。記念の集中山行は槍ヶ岳山荘で行われて、北鎌尾根からのパーティーは、到着が遅れ小屋番氏から大目玉をくらったと聞かされました。

翌年6月3回目の例会参加は小楢山26名の参加者、その中に80代の男性は矍鑠と歩いておられ感嘆致しました。私も間もなく80また創立の節目、節目に百周年を迎えるまで現役で山に登ろうと思い、励んでまいりました。

 百周年記念行事として昨年4月からスタートした全国を巡る百山登山は、1昨年からのコロナの緊急事態宣言で計画通り開催出来ずにいましたが、10月に全面的に緊急事態宣言は解除され少しずつ開催される運びになりました。個人的には6月岩手県の大荒沢岳、10月三重県の大杉谷を開催致しました。

 百周年記念行事はやはり祝賀会です、会場は上野・東天紅に決定致しました。山嶺誌上で既にご寄付のお願いをしておりますが宜しくお願い申し上げます。

 日本の登山は山岳信仰からの発展を経て、近代日本に入いるとェストンが声高らかに登山を推奨して学生をはじめとするエリート層が活発に探検登山を行いました。その後大正に入り登山黎明期から一般登山へと脱皮した時代になりました。

 大正9年柳橋で瀬戸物屋の若旦那、本多月光は街の若衆、花柳界女性などと柳橋山岳会を創設、東京近郊から時には上高地にも足を延ばしておりました。上高地に訪れたさい、神戸野歩路会と親しくなり、名称が気に入り入会しました。大正1110月東京野歩路会と改称致しました。神戸野歩路会は消滅しました。

 昭和に入り箱根強羅温泉に宿泊しての集中山行、草津温泉でのスキー学校、講演会と映画界、更には観光バスが無い時代、東武バスを利用しての家族連れのバス旅行なども企画運営されていました。

 私が入会した当時は、事務局は野本秀旺宅で運営され、山嶺の発送など人手が必要の時はお手伝いしてくださいとの声掛けもあり、何度か応援に出かけたこともありました。

 平成7年2月野本秀旺宅から町田清矩宅に事務局を移転し、平成10年8月には要町駅頭のマンションに待望の事務所を開設に至りました。

 二代目の代表は写真家の三木慶介多くの写真講座を開催し、恒例の絵画展・写真展に繋がりました。

 多忙な三木慶介から三代目は上島昌之が就任して長きに代表を務め、マスコミを活用しての会員増強、登山教室の開設など活動を広げてまいりました。

 アナログの時代からデジタル時代に変貌しつつある今、印刷の「山嶺」からネット上への転換が試される時期にきております。我々の現場はあくまでも自然界そのものです。いつまでも毎週のように山に行ける喜びを、共有できる環境であることが必要です。「安全で楽しい登山のために」行動をしていきましょう。